2015年2月28日星期六

蕫立、「天国」へ昇るため、妻女を殺害

 
勤勉で善良な孟秀栄は夫の鉄くわに殺されたとは思わなかった 
200223日は旧暦のお正月まで8日間しかなかった。人々はまもなくやってくる祝日のため忙しく準備していた。当日の夜1010分ごろ、遼寧省朝陽市朝陽県大平房鎮公安出張所に、ある血まみれで恐ろしい顔をした男は急に入ってきた。男は「自分は妻と子供を全部殺した」といいながら、「後5分で天国へ昇れる」と繰り返して呟いた。 
県の警察と検視官はすぐに事件の現場に駆けつけた。ひどい現場であった。部屋にベッドの上に横になった二人は血まみれで、ベッドの隣に血がいっぱい付いたくわが置かれた。電球も割れてしまった。検視官の検査によると、一人の死者の頭は少なくとも67回に打たれた、どれも致命的な傷であった。頭蓋骨は粉砕骨折をした。左側の側頭骨頭頂縁は粉砕骨折をし、頭蓋底に陥入してしまった。頭蓋底は横骨折をした。頭全体は頭蓋骨から頭蓋底まで全部粉砕になった。もう一人の被害者は蘇る形跡があるため、病院へ運ばれた。頭蓋骨に数箇所骨折、硬膜下血腫、硬膜外血腫、頭皮裂傷だと医者さんから診断された。 
この「法輪大法」を口にしたばかりの男は、自分の妻女を殺害した行為に全部認めた。一体、彼は誰だろう。なぜ自分の妻女をそんな残忍に殺したのか。 
 
蕫立 
調査によると、犯人は蕫立といい、37歳、遼寧省朝陽市朝陽県大平房鎮西町村四組の住人である。普段はおとなしく、無口と地味な農民で、性格はややものぐさであった。被害者は彼の妻孟秀栄、37歳、生前は勤勉でやさしい女性であった。夫婦は仲良かったで、ほとんど喧嘩しなかった。負傷者は娘蕫雨丹、14歳、小学校六年生である。元々はしとやかな子で、クラスの学習委員と学校の優秀学生幹部であった。成績はいつも優れていた。一家は貧しい生活を送ったが、仲はよかった。事件が起きたとき、孟秀栄と蕫雨丹は寝る最中であった。 
蕫立の自白によると、23日午後、家にいた彼は急に「大聖王」李洪志の指令を受けた。当日の夜10時、地球は爆発する。天国に昇る人こそ佛道神になれるし、最もいい場所へいける。もし妻と娘を殺さないなら、タイミングを過ぎると、妻女は神になれず、犬と豚になる。蕫立はすぐに決心をできなかった。夜9時ごろ、蕫立は妻と一緒に翌日小さいお正月(お正月まで一週間目)のために餃子の餡を準備したとき、「大聖王」の法身は自分の体に憑依し、自分に言った:子供と妻を叩き殺すと、彼は神になれるし、妻女も神になれる。そして、10時近く、蕫立は慌てて家に隠した法輪功の本と録音テープを燃やした。妻女が寝た後、蕫立はくわを持ち、まず妻の頭にいきなり何回も打った。それに、妻の傍に寝た娘蕫雨丹にも打った。蕫立は妻を殺したとき力が大きすぎ、電球を割れたため、暗い中、蕫雨丹は父親のくわから逃した。蕫立は妻女とも死亡したと思い、家で自分の血まみれの手を洗って、1010分鎮の派出所へ自首した。政府に自分を死刑をくださいと要求した。これで彼は妻女と一緒に「円満になり、天国へ行ける」。 
 
農業労作のためにくわ、法輪功マニアの手に凶器になった 
蕫立は1998年から法輪功の練習を始め、李洪志を「大聖王」、つまり「法輪世界」にいる如来大聖王、宇宙でもっとも身分がたかい主として尊敬している。蕫立は「転法輪」という本を通じて法輪功を練習していた。毎晩夕食をたべてから西街村近くにある空き地で地元の法輪功メンバーと一緒に録音テープを再生しながら、23時間の法輪功練習をしていた。その以外、蕫立は家にも練習し続けた。毎回30分から1時間の練習をしていた。政府は法律に従い、法輪功を取り上げた後、蕫立は公共場所で法輪功を練習しなくなったが、相変わらず法輪功マニアであった。法輪功の屁理屈に溺れた彼は、結局その悲惨な事件を起こした。 
事件が起きた後、警察と蕫立の対話の中から、われわれは法輪功が彼にいくらひどい影響を与えたのかのを見える。 
警察:妻女を殺したとき、二人の命だと思っていなかったのか。 
蕫立:彼女は二人の命だと思った。しかし、私は彼女たちを救い、神の空間へ送るため殺したのだ。私も彼女たちと同じように神になる。 
警察:あなたの妻女は現在神になったとおもっているのか。 
蕫立:はい。 
警察:妻女は現在どうだ。 
蕫立:神様になった。「佛道神」。 
警察:「佛道神」ってどんな状態か 
蕫立:「佛道神」は「佛道神」の状態だ。違った「佛道神」には違った状態がある。 
警察:「佛道神」になってからどんな生活をおくるか。 
蕫立:もちろん「佛道神」の生活に送るに違いない。人間の生活と同じもんか。 
蕫立は妻女が現在神の生活に送っていると思っただけではなく、自分も「法輪世界」になり、「佛道神」になったと思った。 
蕫立:現在あなたと話したのは私の肉身だけ、霊魂はすでにここにいなく、「佛道神」になった。 
警察:どこに行ったのか。 
蕫立:「法輪」世界へ 
警察:どんな世界か 
蕫立:世の中最も奇妙、高尚、美しい、完璧な世界だ。 
警察:誰から聞いたのか。 
蕫立:李先生から。 
警察:李先生ってだれか 
蕫立:李洪志大師。 

「業力を消す」ことで家族二人の命を消した(写真付)

      
袁友貴最近の写真           袁友貴の父親袁高財の生前写真 
袁友貴、四川省宜賓市出身で、今年は54歳である。彼は元々親と妻子と一緒に、幸せな四世代の生活を過ごしていたが、法輪功を練習したせい、妻と父親は2007年と2009年で相次いでなくなった。 
袁友貴は199810月から法輪功の練習を始めた。あの時、彼は珙県で野菜を売っていた。他人に誘惑され、法輪功を練習すれば、病気のある人は病気が治る、病気のない人は体を鍛える目的を期待していた。いつの間にか、彼は法輪功の経文をすらすらと暗唱できた。時々、夜中も座禅を組んで、法輪功を練習したりしていた。「業力」を消して病気を治し、「高い次元へ行く」とばかりかんがえていた。 
19977月、国は法律に従い、法輪功を取り締まった。袁友貴は悟るどころか、逆にほかの法輪功練習者と一緒に、「法を広げる」「法を守る」活動に密かに参加していた。 
袁友貴はすべての力を法輪功の練習に入れたため、家事と農作業は一切やらなかった。そして、家を養う重任は妻と年配の父親に負担させられざるを得なかった。妻は家事をする以外、豚を飼ったり、クワを栽培したり、カイコを飼ったりしていた。収入がへったため、高齢の父親は肥料を背負って、丘へ行ってそこで耕作していた。 
父親袁高財は袁友貴に、まともなことをしなさい。法輪功に迷信してはいけない。自分の責任を持ってくださいと勧めた。妻子と息子と息子の嫁からも国の法律にしたがって、家庭のために、稼いでくださいと勧誘した。しかし、袁友貴はまったく動揺しなかった。息子と息子の嫁は怒って、孫をつれて、地方へ出稼ぎに行った。 
2007年お正月、ある日の午前中、ひどいリューマチを持った妻は長期間の過労で急に倒れた。袁友貴の父親はすぐに親戚を呼んで、彼女を病院へ送ろうとしていた。しかし袁友貴からさまざまな手段で止められた。袁友貴は座禅を組んで、妻に功を発し、妻の「業力」を消そうとしていた。「師匠」の法身に守ってもらうことに祈った。三日間後、妻の病状は緩和したどころか、ますます深刻になってきた。四日間の夜、妻は病気が一気に悪化し、呼吸もできなくなり、他界してしまった。 
妻が死んだ後、出稼ぎ場所から駆けてきた息子と息子の嫁は袁友貴にひざまずいて願った:「お父さん、法輪功をやめて、うちを助けてください。お爺さんに親孝行をしてください。」 
袁友貴はまったく聞き入れなかった。彼は息子と息子の嫁に言った:「お母さんは練習によって円満になったから、天国へ行ったの。」息子と息子の嫁はあんまりにも怒って、再び出稼ぎに行った。家の家事も農作業も、袁友貴のお父さん一人だけやらざるを得なかった。 
20096月のある日、69歳の袁高財は一人で野菜畑で農作業をしたとき、いきなり倒れた。心のやさしい隣人は彼を家まで運んで、病院へ送ろうとしたが、袁友貴はどうしても同意しなかった。袁友貴は一緒に法輪功を練習した練習者張おばあさんを呼んできて、二人は一緒に父親に「功を発して病気を治療」しようとした。一晩がすぎて、父親の病状はまったく回復する様子はなかった。 
翌日の朝、袁高財は呼吸がなくなり、この世界とわかれた。

마귀 제거로 손수 아내 살해

编 号: 136517
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왕금은                      후회막심  
 
란소위와 아내 위지화   
란소위(蓝绍维), 위지화(魏志华부부의 고향은 사천성 면양(绵阳) 삼대(三台)현이다. 1992 심천으로 일하러 왔고 1996 10월부터 동시에 법륜공을 수련하기 시작했다. 2001 2 20남편 란소위가 아내 위지화의 몸에 부착된 마귀 제거 돕겠다며 그녀의 입과 코를 틀어막아 질식사시켰고10여명의 법륜공 심취자들이  참사에 참여하거나 참사를 목격했다  위지화의나이가 겨우 35세였다.  
사건 발생 1 란소위의 어머니가 심천 아들 집에 왔다가 아들 며느리를 따라 법륜공 연마를 시작했고 사천에 돌아간 후에도 계속심취되어 병이 있어도 치료를 거부할 정도에까지 이르렀다. 2000 8어머니의 병이 위중해지자 란소위는 아내를 어머니  간호로고향에 돌려 보내며 수련을  잘 하라고 당부했다. 2개월  노모가 병사했는데 임종직전 체중이 25킬로밖에 되지 않았다시어머니의후사를 처리한  고향에 잠시 남아 애를 돌보던 위지화는 시어머니 사망에서 받은 충격이 너무 커서인지 이홍지와 법륜공에 대한 의구심이 들기 시작했고 날로 불안해졌다.   
2001 2심천으로 돌아온 위지화가 남편이 북경에 호법(护法) 떠난 사실을 알고 나서 더더욱 긴장해 친구 왕금은 (王金银) 임대한 룡강(龙岗) 포길(布吉) 대분(大芬) 분룡(芬龙)6항으로 거처를 옮겼다그런데 그곳도 법륜공 심취자들이 많이 모이는 장소였다얼마  위지화의 표정이 날로 얼떨하더니 심지어 예봉을 돌려 이홍지  자식그리 착한 우리 시어머니도 구해주지 않았다 욕을퍼부었다   
어느  점심위지화가 방에서 불쑥 나와 왕금은의 손을 덥석 잡더니 나방금  사람과 연락했는데 다른 공간의 사람이야이홍지도우리를 데리고 어머니를 제도하러 간다고 했어라고 말했다이에 이신휘(李新辉), 왕금은 등은 위지화의 몸에 마귀 부착됐다고 인정했고 그녀 몸에 부착한 마귀를 쫓아 내기 위해 다른 법륜공 심취자 여러 명을  불러왔다이들은 일여덟 명이  팀으로 나뉘어 번갈아위지화의 주변을 맴돌며 경문을 읽어 주다가 사부의 법상을 그녀 앞에까지 옮겨 놓았다그래도 위지화가 계속 고함을 지르며 아무런 변화가 없자 이신휘 등은 북경에서 돌아와 하남에 숨어 있는 란소위에게 빨리 심천에 와서 마귀를 제거하라는 전화를 하기로 결정했다.   
2 18 오후란소위가 법륜공 심취자 구양걸(欧阳杰) 함께 급히 기차 편으로 심천에 도착하니 위소화는 이미 정신 붕괴 직전이었다남편을 만나자마자 위지화가 란소위우리 속았어!라고 말했지만 아내의 몸에마귀붙었다 단정한 란소위는 그녀의 말을 듣는척도 안 했다.   
2 19점점  많은 법륜공 심취자들이 불려 왔고 그날  10여명의 법륜공 심취자들이 위지화를 에워 싸고 소리 높게 경문을 읽었다위지화가 거듭 뛰쳐 나가려 시도했지만 번마다끌려 들어왔다.   
어느  날이 점점 밝아오기 시작했다구양걸이 도망가려는 위지화가 대법을 파괴한다는 사람이라고 하자 란소위가 그녀를 묶어 놓자고 제의했다그러자 왕금은이신휘구의향(丘宜香), 구양걸 등이 란소위와 함께 그녀의  손을 뒤로 묶고  발도 묶었다.   
구양걸은 위지화에게 이홍지 법상 앞에 무릎 꿇고 사부에게 구원을 청하라 명했다위지화가 몸부림치며 거부하자 이신휘 등이 달려들어 그녀를 억지로 눌러 무릎 꿇게 하고 다른 사람들은 계속 주변에 가부좌하고 앉아 이홍지의 경문을 읽으며 그녀를 도와 마귀 제거 실행했다   
 손과  발을 묶인  억지로 꿇어 앉은 위지화는 여전히 당신들 이러지  이홍지의 좋은 제자   없어이홍지가 사람을 해쳐  사람의 제자   없어당신들이나 그의 제자 되라 욕설을 퍼부었다.   
위지화가 사부를 욕하자  자리에 있던 여러 명의 법륜공 심취자들이 노발대발하며 그녀의 뺨을 후려쳤다손으로 그녀의 입을 힘껏틀어막고 있던 란소위는 구양걸이 넘겨준 타월을 받아 위지화의 뒤에 서서 손과 타월을 교체해가며 욕이 나오지 못하게 그녀의 입과 코를 막았다네댓 시간이 흐르고 10여명의 법륜공 심취자들의 고저장단의 경문을 읊는 소리속에서 위지화는 몸부림과 고함을 차츰 멈추더니 고개를 떨어뜨렸다……   
몸부림 치던 위지화가 쓰러지는 장면을 지켜보고 있던 법륜공 심취자들이 흥분을 감추지 못했다위지화 몸에 부착된 마귀 제거됐다고 구양걸이 알리자 다들  말을 진짜로 믿고 사부가 신통력을 발휘 위지화의 원신(元神) 되돌아 오게 만들 것이라고 믿었다.그제야 란소위구양걸과 이신휘가 손발이 묶인 위지화를침대에 눕히고 그녀의 소생을 기다렸다   
그러나 위지화는 좀처럼 깨어나지 않았다 21시경 법륜공 조직의 지시에 따라 란소위와 구양걸이 건물 아래 공중전화를 이용해 심천시 120응급센터에 전화를 걸었다위지화가 숨진  20시간 훨씬 넘은 후였다.   
용강구 남령(南岭)병원에서 120응급센터 지령을 받고 즉각 응급구원에 나섰다   응급차가 현장에 도착전화에서 말한 환자 젊은 여성였고 이미 숨진후임을 종우명(钟宇明)의사가 발견했다그가 소식을 사자의 남편 란소위에게 알렸을  그는 처가 죽지않았다고 고집했다병원 검사 과정에서 의사는 위지화의 팔에서 끈으로 묶였던 흔적을 발견했고 숨진  비교적 오래 됐음을 발견했다.이에 근거하여 현지 파출소에 신고했다.   
신고를 받고 출동된 룡강구 공안분국 라강(罗岗)파출소 경찰이 즉시 사자에 대해 법의 감정을 실행병리검사를 통해 위지화의 사인이타인에게 코와 입을 막힌 질식사임을 입증했다사건발생 현장에서 사자를 묶었던 붉은 포장  6개를 발견했다.   
 정황을 보고 받은 심천시 법륜공 간부 하견(何坚), 정호(程浩), 이연(李艳등이 크게 경악했다사부의 지의 따르면 대법을 수호하는 것이 급선무였다마귀를 제거하느라 사람을 숨지게   사건이 대법의 명성을 파괴할까 우려된 그들은 매체들이 사실대로 보도한다면 정부에서 뭐라 말하지 않아도 군중들이 금방 알게 되니 천방백계로 보고 들은 것을 혼돈시키기 위해 공안기관에 병사라고 말하라 가족들을 설득시키라 요구했다.   
그러나 누나 사망소식을 접하고 달려온 위지화의 동생 위귀군(魏贵军) 친척들이 빈의관에 누워 있는 시신에서 팔이 묶였던 흔적과무릎 상처를 발견했고 병으로 사망했음을 믿지 않았다공안국에서 남편 란소위를 구속했지만 위지화의 사인에 관해 입을 열지 않아 그녀의 죽음이 미스테리로 남았다.   
사천의 친척집에 살고 있던  아이는 내내 어머니의 사망소식을 듣지 못했다. 2001 여름란소위의 생질 이봉휘(李逢辉) 심천에일하러 갔다가 외삼촌 집에 거주했는데 그제서야 외숙모가 이미 사망했다는 사실을 알게 되었다외숙모의 사인을   물었지만 란소위가 입을 열지 않았고 끈질기게 물으면 피하다 못해 겨우 일이 너한테서 발생하지 않았으니 너는 알리 없다고만 대답했다.   
2001 7월에 이르러 사건에 참여하고 진상을 덮어 감추던 법륜공 간부 이연이 스스로 심천시 공안국에 신고해서야  사건의 심리가획기적인 진전이 있게 되어 듣기에도 끔찍한 법륜공 심취자들이 마귀를 제거하기 위해 사람을 질식사시킨  사건의 진상이 차츰 드러났다결국 란소위는 법에 의해 징역 13년을 구형 받았다.